・誕生〜高校卒業

1964年4月5日 横浜の片隅にある古本屋で産まれた。
本名「薫」と名付け理由は「男でも女でもどっちでもいいように」

大量の本に囲まれて育ったせいか本を読むことが大好きになった。
でも家にある本に惹かれるものがあまりなかったから本屋をハシゴして立ち読みばかりしていた。

「ピアノを習え」と言われたけれど退屈そうだったから無視して読書と野球の日々。
近所に住んでいた画家のおばさんに油絵を習わされたけどぜんぜん楽しくなくてすぐやめた。
剣道もやらされたけれどパワーのないチビカオルは勝てないし寒稽古も正座もすごく嫌ですぐやめた。
学校で流行っていたから学習塾に通ったけれど遊んでばかりでもう来ないでくれとクビになった。
後に「ピアノも絵も習っとけばよかったかな」と後悔するなんて当時は想像すらできなかった。

小学5年生の時に友達のお兄さんに聴かせてもらったビートルズの「ヘルプ」に衝撃を受けて
親に頼み込んで質屋で白いフォークギターを買ってもらう。
6000円。当時は「リードギター」という種類のギターが売っていると思っていた。

ビートルズの曲はエレキギターじゃないとダメだと知り
仕方なくフォークギターで弾ける簡単なコードを覚えて中学1年生の時にはオリジナル曲を作っていた。
まだ作詞には興味がなく先輩女子のポエムにメロディーをつけた。
中学3年生の文化祭で全校生徒の前で弾き語りを披露。
大喝采を受けてなんとなく「オレはたぶん音楽で人生を棒に振るんだろうな」と思った。

神奈川県立鶴見高校へ進学。

理由は「音楽が盛んで自由な校風だから」。

 すぐにバンドを組み高校3年生の夏に横浜ハイスクールホットウェーブで優勝。授賞式のプレゼンテーターはサザンオールスターズ桑田佳祐さん。ステージ上で「こういう時はなにか爆笑させることやるんだよ。思いつかないか」と突然激しいキスをされた。わりと気持ち悪いキスだった。バンド名は「BURN」。企画運営などもすべて高校生がやる「音楽の甲子園」と呼ばれたそのコンテストは業界でも話題になり優勝バンドのボーカルのカオル少年は一躍人気者。アサヒグラフの表紙になったり集英社のヤングセンスという雑誌で特集を組まれたり野村義男がホストのテレビ番組に呼ばれたりなど振り返ればこの時期が「カオル全盛期」だった。高校卒業してすぐ関西ツアーに行った。雑誌で興味を持ってくれた少年少女が沢山ライブに来た。その時代はYouTubeなどないから「どんな音楽か」を知るにはライブしか手段がなかった。デビューの話も複数あり順中満帆ムードだったけれど調子に乗り過ぎたカオルとメンバーにズレが生じてこの年の年末に解散ライブ。会場はチャイナタウン近くの横浜シェルガーデン。

解散後すぐに交通事故に遭う。原付バイクで信号待ちしていたらノーブレーキの乗用車が激突。ダルマ落としのようにバイクだけが吹き飛ばされてオレは車のボンネットの上に。その時に「走馬灯のように」を体験した。ヘルメットをしていなかったけれど擦り傷程度だった。家に戻り恋人に事故の報告電話をしたらその場で別れ話を切り出された。ヤケになり事故の補償金でビールを飲みながらパチンコ三昧。金は使い果たしバンドも恋人もいない。「急転直下ってこんなのかな」と思った。

ポーカーゲーム店・賭け麻雀屋など遊ぶ金欲しさに怪しいバイトを始める。https://ameblo.jp/kaoxrain/entry-12716823146.html

続く