No.10 コーク

黒猫のコークの飼い主は悲しきOLでした。
かつて悲しきOLには「将来を誓い合った恋人」がいました。
週末にはなかよく手をつないでふたりがお気に入りの川にピクニックに行きました。
しかし悲しい悲しい事件が起こります。

恋人は川で溺れそうな子猫を助けたのですが自分は流されて死んでしまいました。

OLは嘆き深く深く悲しみました。

「いったいどういうコト? なにがどうしてぜワタシの恋人が死んでしまうの?」

OLは真剣に自殺を考えましたが「恋人がいのちを賭けて助けた黒猫」と暮らすコトを選びました。
そして恋人がコカコーラが大好きだったから黒猫をコークと呼ぶことにしました。
あの人はいつだってピクニックにはたくさんのコカコーラを持って行ってたな。

寂しさや苦しさを紛らわすためにとにかくOLは働きました。
毎晩コークを抱きしめて眠り週末には止めどなく泣きました。
休みの日には静かな映画を眺め静かな音楽を聴きました。

友達に誘われて「さまざまな気晴らし」をしましたがまるでダメです。
「恋人の穴」は「恋人でしか埋まらない」のです。
それから何度も何度も季節は巡りコークも立派に育ってもまだまだキズは痛みます。
「時が解決してくれるというのならあとどのくらい待てばいいのだろう?」
OLはいつもこんな風に思いました。

「ねえコーク。ずっとずっと毎日毎日めそめそ泣いてゴメンね」
「かまわないさ。それがニンゲンなんだろう」
「ねえ。コークは生きるってコトをどう考えてるの?」
「オレは。というかほとんどのネコは死ぬ日までただ生きているだけさ。
ニンゲンのように『たくさんの可能性/選択肢』はないからさ。
迷うことはないんだな。ネコが弁護士になろうかそれとも平凡な結婚しようかとないしね。
空を飛ぶのは鳥でネズミを追いかけるのがネコ。ネコはネコとしてただ生きていくんだな。
できるだけ気持ちいいことをしながらね。気がすむまで陽だまりで昼寝したりね。
でもさ。ホントはニンゲンもそんなに選択肢なんかないのにさ。
あると思い込んで勝手にジタバタじゃないのかな?」
「コークはクールなのね」
「クールというかさ。ネコはどうがんばっても20年ちょっとしか寿命がない。
それはキマリなんだ。自然には逆らえない。だから逆らわない」
「でも死ぬのってやっぱり恐いでしょう?」
「そりゃ愉快じゃないさ。でもね。たまに思うんだ。
死ぬのは恐いけど『ずっと死なない方がもっと恐い』ってね。
永遠ってのはある意味地獄かもってね。ほどほどがちょうどいい」
「コークの言ってることなんとなくだけどわかるかも」
「ニンゲンとネコのいちばん違うところは『貯金』だよ。
ニンゲン以外の動物は『貯金』をしない。『あるだけ』で暮らす。
それが当たり前だし自然だしそれに逆らうニンゲンはどうなんだろうね。
貯金があると安心してなんとなく長生きができるような気分になる。
そして『健康グッズ』なんかを買い漁る。人生に『保険』をかける。
貯金を増やそうとしたり奪おうとしたり守ろうとして『鍵』をかける」

なぜ他のイキモノは「鍵」をかけないんでしょう?
なぜ便利な電子マネーや養殖や冷凍保存をしないのでしょう?

「ねえ。どうしてわたしの恋人が死ななければならなかったんだろう?」
「わからないよ。オレといっしょに生まれたネコはカラスにさらわれたり
病気ですぐ死んだりオレだけが川で溺れたけど助けられて生きている。
きっとぜんぶが育つと『全体のバランス』が崩れるんじゃないかな?」
「ねえ。コークは他のネコがうらやましいと想ったコトはないの?」
「ない。そんなこと考えていいことあるのかな?
右目が見えない猫と左目が見えない猫。どっちが可哀想か。
金持ちに拾われた猫と拾われなかった猫。どっちがしあわせか。
こんなこと考えてなんかいいことあるのかな?」

OLはわかりません。

恋人が死んだヒトと恋人に捨てられたヒトと恋人がずっといないヒトのどれが不幸なんだろう?

「ねえ。コークの夢や楽しみってどんなことなの?」
「楽しみね。あるといえばある。例えばヒナタボッコとカツオフレッシュパックだな。
夢か。ないといえばない。オレは去勢されているから自分の子供も孫にも絶対に逢えない」
「ごめんなさい」
「謝るコトはないさ。そういうのは天災といっしょなんだ。
『その事実』をただ受け止めてやっていくしかない。
どうして去勢されちゃったんだろうって考えたって仕方ないさ。
あれだよ。どうして恋人が死んだのかをいくら考えてもわからないしさ。
それを考えても楽しくなれないだろ。受け入れるしかないよ」

それからまた季節が何度も移ろい過ぎていきました。
ある時。悲しきOLに「あたらしい出逢い」がありました。
OLはオトコに結婚を申し込まれました。
じっくり考えて「イエス」と返事をしました。

「もしかしたらこの男性と出逢うためにいままでのすべてがあったのかも」
そう思えるような素敵な巡り合いでした。

しかし。
あまりにも理不尽で嫌がらせのような事実が判明します。
オトコは極度の猫アレルギーだったのです。

OLは嘆き悲しみ迷いました。
コークは言いました。

「せっかくしあわせをつかんだのだから大事にした方がいい。
ふたりでなかよく楽しくなにもかも新品の部屋で暮らすといい」
「なんでこうなっちゃうんだろう?ホントにうまくいかないな。
私たちがふたりだけで生活をはじめたらコークはどうするの?」
「オレは長くてもあと3年ぐらいで寿命だ。
心配しなくていい。レインハウスってのがあるんだ。
酔狂な詩人がいてね。黒猫が大好きでね。たくさんの黒猫がいてね。
だから。大丈夫なんだ。死ぬまでそこで楽しくやるさ」

悲しきOLは詩人にコークのコトを頼みました。

「なにも心配しないで。ここの黒猫たちはみんなワケアリなんだ。
それよりたくさんのカツオフレッシュパックを寄付してくれてありがとうね。
たまにはコークに逢いにきてね。末長いしあわせを」

いまコークはレインハウスでのんびりと暮らしています。
時々コークは詩人と無駄話をして楽しんでいます。

「詩人さん。あなたは生命保険に加入しているのかな?」
「んなわきゃねーじゃん。だって『自分が負ける方』に賭けるんだろ?
自分が事故や病気や怪我になるって方に賭けるんだろ?
そんで勝ったら保険金ゲットって勝っても嬉しくないギャンブルなんてな」

「詩人さんは恋人が死んだら泣くのかな?」
「あたりめーだ。オレはきっとめそめそするだろう。グチャグチャさ。
いいかコーク。ネコは詩を書かない。ニンゲンは書く。
鳥は空を飛びネコはネズミを追いかけてニンゲンは迷い抱えてフクザツに生きる。
そのめそめそやグチャグチャや迷いやフクザツをコトバにしたのが詩なんだよ」
「なるほど。だからネコには詩なんて退屈なんだろうね。食べられないしさ。
でも詩人さんには詩がおもしろいから詩人としてただ生きていくと」
「コーク大正解。賞品は最高級カツオフレッシュパック三日分です」

悲しきOLも穏やかにしあわせに暮らしています。
もう悲しきOLじゃありません。「やっとしあわせになったOL」です。
週末には必ず旦那の車でレインハウスに来てコークといつものように話します。
旦那は必死で猫アレルギーを克服しようとするのですが
レインハウスに近づくとくしゃみや涙が止まらなくなります。
「うー。ここでギブだ。でも先週より5mは近づけた。
はやくコークのところへ。ボクは車で音楽を聴いてるから」

旦那はボリュームを上げないようにしてこっそり音楽をかけます。
この前のように音楽を聴きつけたとミックとジャガーがたくさんの子分の黒猫を引き連れて
車に近寄って来ると猫アレルギーが大ピンチになるからです。

おしまい。

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