オレのヒーローはスナフキン

ガキの頃にいろんなヒーローと出会った。仮面ライダー・ウルトラマン・タイガーマスク・キカイダー
レインボーマンなど夢中でテレビを観て変身ベルトを買ってもらえず段ボールで自作したりね。だけどいちばんカッコいいなと感じたのはムーミンのスナフキン。スナフキンは地球平和のために悪と戦ったりなんかしないでいつも帽子を深くかぶり木にもたれている。たまにムーミンになんかいいことっぽいフレーズを言う。あくせく労働もせず鼻唄したり年齢不詳でどこにも属していない感じ。オレはまだ世の中や人生のあれこれなんかをほとんど知らないクソガキだったけれど「スナフキンみたいに生きたい」みたいな憧れを持っていた。前にライブのトークショーで「カオルと帽子について」の質問があって「往年のロックスターのマネではない。調べたらわかるけどオレのタイプの帽子をかぶってる長髪ロッカーいないはず」と答えた。でも何割かはスナフキンの影響はあると思っている。意識はしてなかったけれど長いコートやタバコもスナフキン体験からの影響はあったのかもと改めて「スナフキン イラスト」を検索してそう思った。

いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ
僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ
「そのうち」なんて当てにならないな。いまがその時さ
人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ
世の中にはね、自分の思い通りになってくれない相手のほうが多いんだよ。おべっかばっかり使って友達になろうとするやつも同じくらい多い。だけどムーミン、僕はそんなやつが大嫌いさ
自分の入りたくないところへ無理やりに入れられたら、君はどうする?自分のやりたいことを押さえつけられたら、君はどうする
自由が幸せだとは限らない

これらはぜんぶ「スナフキン名言」からの抜粋。(他にもたくさんある)
世の中にはいろんな名言ってのがあふれているけれどオレはスナフキンの言葉がすごくしっくりくる。
うむ。しかしスナフキンは実在の人物ではなく誰かが作画し作り上げたキャラクターだ。
もちろん数々の名言的フレーズも誰かが考えた言葉だ。その誰かは複数かもしれないし他の誰かの言葉を引用したり参考にしたのかもしれない。でもそういうのはどうでもいい。作者不詳・読み人知らずの名作もあるし出典のわからないことわざもある。まあオレの場合は「ウルトラマンの背中のチャックは見ないようにする」って感覚でディズニーランドのミッキーマウスの中に人はいないと思い込むのと同じかな。


「世捨て人みたいに暮らしてるんだ。すごく性に合ってるから。
世を捨てたのか世に捨てられたのかはわからないけどね」

2月18日の狂宴の楽屋で悪友山田晃士にこう言ったら「シャンソン的でいいね!」とヤツにはストライクだったようでウケていたけどオレはマジでというか外連味などなくただ言ったんだけど「誰とも関わらずに猫と暮らす」ってのが快適だ。7年間の引きこもり時期はライブもSNSもやらなかった。たまに掃除&生存確認に来てくれた人に「寂しくないの?会いたい人はいないの?」と訊かれたけれどオレはちっとも寂しくなかったし少し考えたけれど特に会いたい人も思いつかなかった。会いたいというかドラッグで大迷惑をかけた人たちに謝罪と償いをと連絡したことはあったけれど電話に出てもらえなかった。セックスはひとりじゃできないからそういう意味で求める気持ちはあったけれど「性行為の前後」を考えるとものすごくめんどくさかった。眠れない夜が続いたり希死念慮に苛まれ苦しい時もあったけれどひとりで飲み込むことがほとんどだった。世を捨てたのか捨てられたのかわからないけれどオレには孤独ってのは相応しいなと思った。

スナフキンの名言を抜粋し並べた順番には「カオルの意図」だ。出典順・時系列ではない。
最後の「自由が幸せだとは限らない」に帰結するように恣意的に並べた。
まず自由が幸せかどうかってのを体感するには「自由な状態」を体感しなければわからないと思った。
そして「なにを持って自由と定義するのか」は人それぞれだなとも思った。
10年ぐらい前のブログで「カオルの自由の定義」ってのを書いた。
「夕焼けを見たいと思ったらいつでもすぐに見られること」
オレの7年間の引きこもり時期はまさしくその状況にいたしいまもそれに割と近い。
そんでスナフキン名言に勝手にカオル迷言を書き加えて勝手にコラボレーションして終わる。

「自由が幸せだとは限らない。人はあっという間に幸せに慣れちゃうしね」

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