file3 キラージェイの香り

キラージェイ。
細く長い手足と少し茶色いカールした長髪。青みがった瞳と胸をはだけたシルキーなシャツ。
そのアブない笑顔はイギリスの人気ロックバンドのボーカルみたいだったけれど
キラージェイは武闘派チャイニーズマフィア***会のNo.3。
見上げられるために産まれてきたような背の高いキラージェイが鋭く睨みつけると
アンダーグラウンドなトラブルは暴力沙汰になる前に解決していたらしい。

個人的な付き合いはなかった。
共有できるエピソードもなくそもそもオレの名前すら知らないはずだ。
だけどオレには「忘れ得ぬ80年代の象徴」みたいなヒトだったから
「誰もがハローと言える場所」の歌詞にどうしても登場させたかった。
そんな彼とのほんのちょっとのストーリー。

1980年代初頭のチャイナタウンには混血のギャングがいた。
誰からも恐れられていたけどなぜかバンドマンには優しかった。
これだけ知っておいてくれたらいい。

オレたちがヨコハマのスタジオで練習をしていると
突然ドアが開きキラージェイがニコニコしながら入って来る。
数枚の札をヒラヒラさせながら。
それは「スタジオを貸せ」という合図だった。暗黙の了解。
会員登録してスタジオを予約してなんて発想すらなかったのだろう。
キラージェイは唄いたいときに唄った。

オレたちは機材をかたずけスタジオから出る。
珍しいことじゃないし貧乏なガキにとっては大金をくれるから誰も文句は言わなかった。
なんというのかな。うむ。「そういうもんだ」と思っていた。
ロビーでビールを飲みながらジミヘンドリックスのビデオを眺めたりしながら終わるのを待っていた。
15分ほどすると子分のような男達が銀のトレイに乗せた水割りセットと楽器をかついでやってくる。
たまにドアが開きキラージェイの怒号を背に唇から血を流した子分が転がり出てくる。
みんな下を向きタバコを吸い見なかったことにする。

早くて30分。遅いと3時間。
気がすむまでロックしたキラージェイがスタジオから出てきてまた金をくれる。
「ありがとな」機嫌よさそうに帰っていく。練習再開。スタジオに戻る。
キラージェイが使用したあとのスタジオはとてもいいニオイがした。
体臭と香水がほどよくミックスされたパワーとセクシャルとキケンの象徴のような香り。
いまでもそのニオイをくっきりと覚えている。
香水売り場にいくと必ず探すけどまだその「ニオイ」を手に入れることができない。
恐らく生涯手に入らないだろう。廃盤になっていなければ「その商品」は買える。
でもそれはムスク系とかトップノートとか「表面的なこと」じゃなくて
命を賭けた修羅場をくぐり抜けたギャングの汗の香りが隠し味になっていなきゃダメなはずだ。

何年か過ぎたある日。風の噂が流れてきた。
「キラージェイが撃たれたらしい」
オレは驚かずむしろあらかじめ台本には書かれていた事件のように感じた。
そしてこの噂は間違ってはいなかったようでキラージェイはそれっきり。
あくまでも推測だけれど。
狙撃現場や救急車の中や病院にもキラージェイの香りが漂っていたように思えて仕方がない。

〜気取り屋ギャングのキラージェイは ガキが産まれた次の日に路地裏で狙われたんだ バイバイ〜

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