file.6 ジローの瞳

ジローはひとつ年上の中学の先輩。不良でも優等生でもスポーツマンでもない。
流行り映画を一緒に観に行ったこともあるし音楽も聴いていたけど夢中になることはなかった。
この年齢の男にしては女にも恋愛にも興味がないみたいで学校では退屈そうだった。
平均的な家庭に育ち特に問題はないけど特に誇るようなところもないタイプ。
ジローはどこにも属していなくてゲームセンターとパチンコ屋にいつもひとりでいた。
オレが高校生になりパチンコ屋に行くようになりジローと改めてなかよくなった。
ジローは高校へ行かずにバイトをしながらプロのギャンブラーを目指していた。
パチンコ素人のオレに裏技から店内のシステム・イカサマに加担する店員などを教えてくれた。
「あのチビのおっさんは競馬で借金あるからさ。5千円渡せば台に細工してくれる。
5千円払っても儲かるんだ。でもだからってしょっちゅうやってたら店にバレるからね。
それと最近入った新台におもしろいクセを見つけたんだ。
まだテスト飛行だけどもっと絞り込めばイカサマより合法的に確実に勝てる」
誰にでも向き不向き・得意不得意がある。
勉強も運動もパッとしなかったジローだけど博打の才能はずば抜けていた。

高校卒業してオレは麻雀屋でバイトしていたけど生活の中心はバンド活動。
パチンコは時間潰しでたまにやる程度だったけどジローはどんどんのめり込んで行き
やがて案の定というか「裏の世界」で仕事をするようになった。

ジローは暴力団のシノギのひとつ競馬のノミ屋を若くして仕切っていた。
正規に馬券を買うと手数料が差し引かれるのを嫌う競馬ファンが
手数料もないどころか「負けた金額の1割バック」というシステムのノミ屋を利用した。
ザッとノミ屋を説明する。固定電話で注文を受けて小さなメモにそれを記入する。
「第二レースの1−2に1万円。3−5に5千円」みたいな感じで。
ノミ屋はその馬券は基本的に買わない。上記の例だと客がハズレたら1万五千円の儲け。
そこから負け金1割の千五百円を客に返す。馬券を買わずに飲んでしまうからノミ屋。
当たる可能性の高い馬券や当たったら多額の勝ち金を払わなければならない馬券だけ保険で買う。
もちろん勝つ客もいるけれど3レース連続の的中はないらしくトータルで客は負ける。
だから通称「ドリンク」は資金源として成り立つ。
しかし警察だって甘くない。専属のチームがいつも探っている。
たいていは大負けしている男性客の奥さんがすがるように警察に相談する。
警察も被害届があればとりあえず逮捕できるから動く。
ジローの仕切る店も警察の手入れにあった。
気配を察知したジローは客の注文が書かれた馬券メモを丸めて噛まずに飲み込んだ。
現代と違いデジタル的な証拠は残らず電話局もいつ誰から電話があったかは調べられるけれど
会話の内容や目的は特定できないから証拠となるのはメモだ。
それさえなければいくら疑われても他に違法行為の証拠がなければ罪に問われない。
ジローはメモを飲み込んだ。警察もその手口は知っているから物理的に吐き出させようとした。
でもジローは対策としてメモをトイレットペーパーにしていたから胃液で溶けた。
ジローは罪にならず組織の上にも捜査の手は及ばなかった。
組織の幹部もジローの危機管理対策に敬意を表してそれなりの報奨金と出世をプレゼントした。
一般社会で言えば会社功労へのボーナスと昇進という感じかな。

ある角度から見ればジローは着実に裏の社会での成功の階段を昇っているように見える。
オレもそんな風に思いジローに「好きなことで稼げるのはすごいことだよ」と称賛もした。
だけどジローは嬉しいようには見えずその真逆だった。
ジローは一匹狼のギャンブラーになりたかっただけで
博打場を仕切る仕事は自分の才覚を活かしたバイトでギャンブルの軍資金確保のため。
管理職のような立場は仕事の責任と時間の拘束が増えるだけで好きなギャンブルができない。
そんなジレンマをジローは抱えていた。
そしてジローはジローらしいというか異常で危険なギャンブルを始めた。
自分の仕切る組織と関連の賭博場に偽名を使い分けて客のフリをして賭けた。
店のシステム自体をジローが考えたし関連の賭博場からの情報も容易に手に入る。
だからジローは勝った。バレないように工夫するスリルも楽しかったらしい。
とにかくジローはうまく立ち回り満たされていた。

しかし。引き際を心得ているはずの沈着冷静なジローがミスをした。やりすぎた。
売上の誤差やなにか異変を感じてスパイしていた組織の人間にジローの手口は露呈した。
ピンチとかヤバいとかのレベルじゃなくて文字通りに命の危険さえある状況。
ジローはポケットに入るだけの現金だけ持って逃げた。
駅前のタクシーに乗りどこか遠くに行った。

これを知ったのはずっと後のこと。
2000年初頭にオレはホームページを立ち上げた。
その問い合わせフォームにジローからメールが来た。
「カオル。ひさしぶり。ずっと音楽やってるんだね。オレはさ〜」
そんな風にメールは始まりジローしか知らない内容だったから会うことにした。
そしてイカサマがバレて逃げてからのことをジローから聞いた。
楽しい再会で相変わらずジローはジローだったんだけど。
うむ。姿形が激変していた。時の流れによる加齢とかではない。
髪の毛は異様に抜け落ちて服から露出した肌の大半は火傷のようにただれていた。
オレは遠慮せずにその激変について聞いた。
「京浜工業地帯の原発関係で働いた。借金返すにはそれしかなかった。
特殊清掃員ってやつ。売れっ子風俗嬢よりも短期間で稼げるんだ。でもマジで危険。
最初に誓約書書かされた。簡単に言えばこの仕事内容は口外してはいけないという事と
カラダや命になにかあってもすべて自己責任って事だね。
オレはサインして短期間で大金をゲットしたけど放射能で髪はハゲたし肌はボロボロ。
命はいまのところはって感じでたぶんガンになると思うよ」
ブラックジャーナリストが飛びつきそうなものすごいエピソードを
笑いながら明るくまるで昨日買ったばかりのアイスクリームを落としちゃったんだみたいに
話すジローは無傷の瞳にあいかわらずのキラキラした光が輝いていた。
ジローはデジタルになって難しくなったと言いながらもスロットでなんとかやっていた。
たまにメールでオレも詩を書いてるから唄っていいよと送ってきたけど詩のセンスはない。
やがてメールも減っていき会うこともなくなりジローのことをほとんど忘れていた。
あるライブハウスでリハが終わって楽屋でタバコを吸っているとおふくろから電話があった。
「カオル。ジローさんはわかるの?さっきジローさんのお母様がウチに来てね。
ジローが病気で死んだとカオルさんに伝えてくださいって」
そのライブで完成したばかりの「誰もがハローと言える場所」を唄うつもりだったから
哀悼の意というか個人的な葬式の感じでジローを歌詞に書き加え登場させた。
たまにジローが夢に出る時がある。
そのジローは必ず学生服を着ている。
なにか話しているけど聞き取れないが瞳がキラキラしているからギャンブルのことだろう。

〜結局ジローはドジ踏んであの娘をおいてオサラバさ 逃げ切れよ ヤツらはしつこいぜ〜

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