file.7 番外編 そりたの警告

そりたはネコ。オレが初めて一緒に暮らしたオスネコ。
誰ハロに登場させたかったけれどいい感じにならず断念した。
黙っていればわかる訳もないマボロシの歌詞だけどこれを機会にそりたについて話す。

離婚直後の30歳。オレがいちばんビンボーな頃川沿いのアパートで暮らしはじめた。
そりたは母親と一緒に近所をウロウロしていつの間にか毎日ご飯をもらいに来るようになった。
バイトから帰るとドアの音なのかオレの気配なのかわからないけれど察知してベランダにやってくる。
猛烈なビンボーで最悪の時は3日近く水だけで暮らしてたぐらいだったから
安いキャットフードでも常備なんてムリみたいな状況だった。
(と言いながら酒とタバコは確保していたのだが)
ご飯の残りやなぜか別れた妻が大量に保管していたカツオフレッシュパックを中心に食べさせていた。
事情はわからないけれどやがて母猫は来なくなりそりたがひとりで来るようになった。
そしてベランダの窓から部屋に上がり込むようになり気に入った場所で眠るようになった。
許可を得ず強引に転がり込んできた宿なしの悪友のようにそりたは勝手に自分の居場所に決めた。
オレもひとりは寂しかったからむしろ大歓迎だった。
そんな風にしてそりたとの生活がはじまった。

そりたはチビで痩せているのにとにかく気が強かった。
レインも気が強いけどそりたはオスだからか比較にならないほどの苛烈さだった。
どんな大きな年上のボスネコでも気に入らなければ飛びかかり追い回す。
素早いネコを目撃し続けるのは難しいけれど威嚇の声なんかでそりた優勢は伝わってくる。
たぶん。勝つまで。そりたがそう納得できるまでやり続けてたんだと思う。
タバコの煙も平気だし爆音でツェッペリンを流していても仰向けにひっくり返ってグースカ寝ていた。
外が大好きで草を齧ったりひだまりで居眠りしたりトカゲでもネズミでも動くものは捕まえてくる。
だけど蝶々だけはダメらしくてあきらめずに蝶に向かってジャンプしている姿は忘れられない。
なぜかクイーンのビデオが好きでフレディマーキュリーがスタンドマイクで唄い出すと
ブラウン管の画面にパンチしたり戯れたりしていた。もちろん蝶と同様に捕まえられなかったけどね。
試しに他のロックライブを観せたけど無反応でとにかくクイーンがいいみたいだった。

そりたはオレの肩に乗って散歩をするのが大好きだった。
コンビニがあまりなく24時間営業の前。
セブンイレブンは午前7時から夜11時までの営業だったからセブンイレブンってこと。
だから早朝5時になると深夜販売禁止の酒の自動販売機が復活するのを待ち
そりたと買いに行くのが日課だった。片道10分の静かな街をそりたと歩く。
そりたが短く鳴く。気になった花があれば止まれってことでそりたは匂いを嗅いだりしていた。
自販機前に着くとそりたをおろしてコインを入れてワンカップ日本酒100円を買う。
待ちきれずにその場で一気に飲み干しもう2本買いポケットに入れてそりたを乗せて帰る。
そりたは足元でじっとしていてたまにビンに残った数滴の日本酒を舐めていた。
好き嫌いはなく海苔もトマトも食べていたけれど酒も舐めるんだそりたはすげーなと思った。
同時期に関係を始めたガールフレンドと一緒に駅前のゲームセンターでそりたとプリクラを撮った。
彼女のおかげでそりたとオレの生活レベルも向上した。
近所の神社の夏祭りにも肩に乗せて連れて行った。たこ焼きも焼きそばも一緒に食べた。
そんなそりたに興味を持ったおばさんや子供たちが「かわいー。触ってもいい?」
「えらい猫ちゃんだね。犬よりもお利口さんにしてる」と写真を撮ったりご飯をくれたり。
そりたを肩に乗せて縁日を見物していると突然威嚇の声で唸り出した。
周りを見回しても人間以外は猫も小動物も見当たらないしその神社では愛犬同伴もダメだった。
そりたの視線を辿るとまさかとは思ったけれど威嚇の対象はキツネの石像。
近くまで連れて行き匂いを嗅がせて生き物ではないと認識するまでそりたは石像を威嚇し続けていた。
多くの猫と暮らした経験のある新しいガールフレンドに「ネコってこんなもんなの?」と訊いたら
「そりたはかなり変わってる。肩に乗ってプリクラを撮ることも珍しいけれど石像に威嚇なんて」と。

風呂も大好きで器用に浴槽の淵を歩き回りお湯をかき回して遊んでいた。
風呂のお湯もペロペロ飲んだりネコって水嫌いじゃないのかなと。
遊び飽きると洗面台にのぼり用意した座布団で寝ていた。お気に入りの場所とは風呂場の洗面台。
鼻が悪くていつも鼻くそが渇いていたから湿気の多いところが好きだったのかなあと思う。
ある時。石鹸で濡れているとは知らずに慣れたオレの肩に
いつものつもりで飛び乗ったそりたは滑って落ちた。
浴槽にジャボンで慌てて救出したけれそりたにはそれほどのアクシデントではないらしく
洗面台で静かに毛繕い。この胆力がボスネコさえ追い詰めるのだろうと得心した。

しかしそりたはよく吐いた。
子猫にはありがちらしいのでそのうち治るだろうと簡単に考えていた。
ピアノでも食卓でもとにかくところ構わず吐くので機嫌の悪い時は掃除しながら叱ったこともある。
言っても伝わるはずもないけれど小言と愚痴の中間の感じでそりたに文句も日常になった。
その吐くという行為が身体的な欠陥が原因であると知るまでは。
そう。そりたは食道に生まれつきの「くぼみ」があり
食べたものが胃に収まる前にそのくぼみに溜まってしまうと。
だからほとんど吐いてしまい食べた量の5分の1ぐらいしか胃まで到達しないと。

獣医は言った。「吐くのは仕方ありません。たくさん食べさせて下さい。
少し高価いですがビタミン剤などもあげて下さい」
キャットフードとミルクをミキサーで流動食にしたりビタミン剤を砕いて好物の煮干しに混ぜたり。
できる限りの知恵を絞ってそりたがちゃんと栄養補給できるように試行錯誤していた。

しかしだんだんと吐く量が増え行きご飯を食べなくなった。
やっと水だけ飲んでいる感じで大好きな蝶々退治も散歩も行かなくなった。
みるみる毛並みが悪くなっていく。目ヤニを拭いても拭いてもすぐにたまる。
そりたは洗面台で眠らなくなりヨロヨロと部屋を歩いて薄暗い隅の方へいこうとしていた。

いま思えば「死に場所」を探していたんだと思う。

でもその時はとにかくそりたに元気になってほしくて借金をして動物病院に連れていった。
肩に乗る気力もないようだから好きな毛布に包んでそっと抱いて歩いた。
そりたは病院が近づくとなにかを察知したのか訴えたかったのか猛烈に暴れて嫌がった。
病気とは思えないものすごいチカラで暴れた。

獣医が言った。
「キケンな状態ですが大丈夫でしょう。手術をするので明日のお昼に迎えに来て下さい」

夜明け前に電話が鳴った。嫌な予感ほどよく当たる。

「お亡くなりになりました。やれることは全部やったのですが」

そりたを引き取りに行った。
ツメはとても深く切られていた。
暴れたんだろ。看護婦とかに押さえつけられて雑に切られたんだよな。
悪かった。オマエすげー嫌がってたもんな。ごめん。爪切るの大嫌いだしな。
そりたはわかってたんだよな。もう寿命だってわかってたんだよな。
どうせ死ぬならあの部屋がよかったんだよな。風呂場とかな。

好きだった毛布にくるんで家路についた。
ガールフレンドは万引きがバレた小学生のように泣きながら途方に暮れて後ろをついて歩いていた。
お香を焚いた。簡単な仏壇を作った。
ビールを飲みながらいつものワンカップにすればよかったなとか変な後悔をしながら。
夜が明けると小さな裏庭に小さな穴を掘った。
煮干しの匂いを嗅ぎつけてだろうけどノラネコたちが集まってきた。そりたのケンカ相手も来た。

「おい。おまえら。葬式だ。煮干しやるから祈れ」

掘った穴に毛布で包んでそりたを埋めた。
そりたの分だけ土が残った。

それからもっと時が流れてもっと新しいガールフレンドとラブホテルに泊まった夜。
彼女の証言によると真夜中オレは突然大きな寝言で
「スマトラには行かない。そりたの警告だ」と叫んだらしい。
オレはそれを聞いて迷わず計画を中止した。これについては説明が必要だな。

2004年。うつ病が猛悪化し誰ハロ発売ワンマンも中止した。
睡眠薬200錠での自殺も未遂に終わり年の暮れに誰も知らないところへ行こうと蒸発に切り替えた。
ひっそり計画を立てながらスマトラ島に「カオラック」という場所があることを知った。
「カオルラッキー・kao-luck」のような語感の地名が気に入って
暖かそうなところだしそこに行こうとパスポートを用意していた。
もう会わないだろう相手の連絡先を携帯電話から消しながら荷造りもしていた。
そんな時にラブホテルでの「そりた警告寝言事件」が起きた。

そして後日。スマトラは未曾有の大地震と大津波に襲われた。
この津波についてはアルバムballad king収録「雲をつかむような話」に書いたけれど
予定通りに計画を実行していたら恐らくオレは津波を題材に曲を作る作者ではなく
あまりにも運の悪い間抜けな被災者だっただろうと思う。
霊的なものにはほとんど興味も関心もなくそれらの存在にも懐疑的なオレだけれど
無意識下での「そりたの警告発言」はガールフレンドが捏造していなければ。
もしかして。あのそりたなら。そう思えなくもない。
いずれにせよ。
夢だろうがそりたの霊だろうが偶然だろうがオレはここにとどまりこうしてこれを書いている。
そしてここまで読んでくれた人はすでに気がついてるだろうけれど
黒猫物語の原型もカツオフレッシュパックなんかもレインじゃなくそりた由来であることを。

後日談。古本屋で立ち読みをしていたら「ブラック動物病院の実態」に
実名でそりたが死んだ病院名が挙げられていた。

そりたを埋めた一帯は跡形もなくアパートは取り壊されてバカでかいマンションが建っている。
自動販売機の酒屋はコンビニの台頭で苦戦しているらしいが細々と営業をしている。
散歩道はマンションへの遊歩道にやりすぎなほど清潔に綺麗に舗装されている。
工事の音ぐらいは平気だよな。そりた。
オマエはジョンボーナムのドラムソロも気にしなかったから。

そりたが死んで少し傷が癒えたオレたちは2匹の保護猫を譲り受けた。
大きな茶トラのトロくんはおとなしくてどの猫にも優しかった。
姉妹の白黒ムグは神経質だけどスラリと健康で綺麗な猫。
生後半年の去勢手術を目前にムグとトロは子供を作り産んだ。
片目の見えないビッケだけ残して他のネコは優しい仲間に引き取ってもらった。
やがてそりたが母猫とご飯をもらいに来ていた窓からメス猫がご飯をねだりに来るようになった。
そのネコちびたはある日突然部屋に入りすごい勢いで押し入れの奥に飛び込んだ。
ちっとも出てこないな大丈夫かなと思って数日すると子猫の声がした。
4匹の猫を産んでいた。ちびたはそのまま居座った。
ユッケとしおの2匹を残し里親募集して優しそうな若いカップルが引き取ってくれた。
トロ・ムグ・ビッケ・ちびた・ユッケ・しお。6匹と2人でのアパートは厳しい。
ちょうど作詞家として稼げるようになっていたから1軒屋に引っ越した。
リビングが18畳もあり大きなネコタワーを3セット設置した。
最終的にオレは猫たちを残してその家を出ることになるんだけどそれは別の機会にでも。
そしてレインと出逢って暮らしはじめるのだが
そんなこんなもスマトラ中止もすべてはそりたから始まったんだなと。

実は。
こんな出だしのコトバがピッタリなんだけれど「ジェネレーションズ」がこれなんだ。
オレの想い出だとかノスタルジーだとか「生きていた場所」なんか知らねーよって感じで
街は誰かの都合で頼みもしないのに勝手にどんどん変わっていくってこと。
な。そりた。オマエはなんでも知ってたんだよな。

〜ヤツらのセンスで街は塗りつぶされてゆく〜

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