つくし風味のチーズとアカウント削除

スーパーでチーズを選んでいる。スモーク風味やブラックペッパーが欲しいのだけど見当たらない。
緑色のパッケージのチーズがあってワサビ味でもいいかと手にとるとつくし風味。
つくしってなんだろう?新製品?まあこれでもいいかと思ったけど袋の右端が5ミリぐらい切れている。
唐辛子ピザ味やいわし味なども見つける。ずいぶんと品揃えが変わったなと思いながら
つくしと唐辛子を選びパンのコーナーへ移動。しかし1000円札1枚しか持ってきてないなと思い
これじゃあレインのご飯は買えないなと思いチーズをポケットに忍ばせた。
そこで目が覚める。
おかしな夢を見たな。つくし風味ってなんだ?だいたい普段チーズは食べないのになぜチーズを?
ピザもいわしもその存在すら忘れるぐらいだしパンを食べたいなと思ったこともない。
いくら考えてもわからないから考えるのはやめて大根を切り茹でながらこれを書いている。

朝起きる。そして思う。「また目覚めたということはまた生き延びちゃったんだな。
また長い長い1日が始まる。早く眠りたいな。ずっとずっと眠っていたいしもう目覚めたくないよ」
最近こんな風に思うことはほとんどなかったけれど引きこもり期間は毎朝こう思っていた。
その頃は起きてレインのご飯と水を用意するとやることが何もなかった。
パソコンもインターネットに繋いでいなかったし楽器には触れることもなかった。
タバコや食料を買いに行くついでにたまには散歩でもと遠回りするのだけれど
ちっとも楽しくないからすぐにやめてレインハウスの万年床で1日中じっとしている。
こう書くととても寂しく悲しく哀れでさえあるような感じだけれどオレは快適だった。
誰とも関わらなかったから人と関わることで生まれる喜びなどもない。
しかし人と関わることで生じる煩わしさやめんどうなこともあり得ないからオレには好ましかった。
たまにする携帯メールの相手は数名で誰かが連絡してくることはほとんどなかった。
SNSもやってなかったし社会的には死んでいるのと同じようなものでそれは悪くないなと思っていた。

哲学の初歩的な命題でこんなのがある。
人里から遠く遠く離れた絶海の孤島で大きな大きな木が寿命を迎えて倒れる。
あまりにも遠い場所だから倒れた音を聞く人はいない。さて。この木は倒れたことになるのだろうか?
物理学的にはその大きさに見合った音がする。その木やその周りで暮らしている動物には聞こえる。
しかし人間はその木の音も存在さえも知らないから「認知」されていない。こんな命題。
正解はなくあくまでも哲学的思考を体験するための理論上のお遊びのようなもの。
オレは引きこもり期間に自分と絶海の巨木をなぞらえていた。

ずっと悩んでいたんだけど今朝Twitterアカウントを削除した。
オレにとってはマイナスの側面が圧倒的に多かったから削除した。自衛のようなものかな?
TwitterをやめればTwitterで生まれる喜びはないけれど心悩ますマイナスもゼロになる。
Twitter上でしかオレを認知していない人にとってはオレは死んだことにもなるだろう。
ごちゃごちゃ述べちゃってるけれどそんなに遠くない将来オレは必ず死ぬわけで。

さて。大根も茹で上がったから食べよう。
つくし風味のチーズの味でも想像しながら。

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